『低空飛行維持』の難しさ

8月前半の忙しさに無理があったせいだ。

8月22日からパタリと鬱がやってきた。

 

脳内でパチンと電気を切ったかのようにオフモードに入った。何か嫌なことがあったからではない。

過眠、無気力、外出できない、カーテンも開けれず、暗い部屋にただただ引き篭もる。もちろん家事はほっとんどできない。

 

双極性障害と診断を受けてから15年も経つのに、私は未だにこの病気をコントロールできずにいる。

 

旦那は今の鬱気味の状態の方がいいと言う。

躁状態は下手をしたら急速に躁状態に移行してしまう危険性があるからだ。

本にも書いてあった。周囲は鬱状態になるとホッとするのだと。

周囲の立場に立って俯瞰して自分をみれば、確かにそうなんだろうなとは思う。

 

テンションが高い時に鬱のことを完全に忘れてしまっているわけではない。

ただ、鬱の時の辛さの感覚は忘れている(私の場合)

こんなに忙しくしてたら鬱が来た時辛いだろうなという予測もしにくい。

ただ過活動期は周囲から見たら明らかに過活動なのだが、私としては自制して行動しているのだ。

鬱が来るのが嫌だから、もっとしたいけどこれぐらいにしておこうとか、睡眠時間の確保もしていたし、私なりの自制はしていた。

それでもやっぱり鬱はやってきた。

自分で自制していたつもりの行動もやはり周囲から見るとギャップがあるのだ。

そして大抵周囲の予想は見事に的中し、鬱がやってくる。

何度も何度も経験してる鬱なのに。

いつかは必ずやってくる鬱なのに。

鬱になって振り返れば、やっぱり明らかに過活動なのに。

いつも鬱になってから過活動時(軽躁)のことを反省する。

 

私はバカなのか。

この15年の間、この病気に翻弄され続けている気がする。もちろん安定期があったのも事実だ。

でも、何かあるたびに(たいして何かなかったとしても)急上昇や急降下を繰り返している。

仮にそんな私を飛行機✈️に例えれば、周囲はその飛行機を見て気が気ではないだろう。

「なんだあの飛行機は。上がったり下がったり。墜落するんじゃないのか?もっと真っ直ぐな飛行機雲を出したりしながら安定して飛べないものかね!」なんて言うのかもしれない。

 

低空飛行を続けるには、ちょっと退屈🥱ぐらいの暮らしがちょうどいいと思う。

言い換えれば、気持ちに余裕がある暮らし。

 

まだ退院してから間もない。

躁と鬱の波が安定するにはもうしばらくかかるのかもしれない。

 

☆自分に負荷をかけ過ぎてはいけない。

☆軽躁時は周囲の意見を聞き、反論しない。

☆鬱が来てしまっても必要以上に軽躁時の自分を責めない。

 

 

 

 

私は乗り物の中で飛行機が1番好きだ。

空港の雰囲気も好き。

飛行機に乗って、飛び立つ瞬間に身体にかかる圧力の感覚や音。

窓から見る素晴らしい景色。

風の谷のナウシカが好きなのだが、あのナウシカが乗ってる白い飛行機が欲しいなーなんて思う。

軽躁時、1人で飛行機に乗って広島に行ったとき、羽田空港にあった誰でも弾いていいピアノで、風の谷のナウシカの曲「鳥の人」を弾いて、知らないおじさんに褒めてもらったのを思い出す。途中までしか弾けなかったのに、とても優しく褒めてくれた。

今回の入院の前の話だ。

 

 

私はいつか旦那と一緒に飛行機に乗って海外旅行をするのが夢だ。

実はまだ一度も旦那と飛行機に乗ったことはないのだ。

そのときがきたら、私は絶対窓側を旦那に譲ることはないだろう。

私が飛行機に乗る時は窓側と決まっている。

ドイツのクリスマスを見てみたい。

 

海外旅行はまだ先だとしても、羽田空港デートに近々誘ってみようかな。

 

今日は愛犬をお風呂に入れて、

私ももみじもさっぱりした。

 

明後日は外来と栄養指導とデイケアだ。

それに行ければ、それをキッカケに鬱は明ける気がしている。

ただし、鬱が明けても低空飛行を意識して生活していく。

どうか鬱が明けた私忘れないで。

上がり過ぎた分、落ち過ぎるということを。

それが私の病気だということを。

 

見返せるように、ここに書いておこうと思ったが、色々脱線してしまい、乱文となってしまったがまぁいいか。

 

今日もお疲れ様でした。

素敵な夢を見れますように。

おしまい。