最近観た映画のお話。
お疲れ様です。
11月というのに44年ぶりの真夏日を記録し、
地球は大丈夫かなと不安になってしまう今日この頃ですが、
いかがお過ごしですか。
お陰様で私は気分の波も緩やかで比較的安定しています。
今日は最近観た映画のお話をしたいと思います。
「月」
1人で2本の映画をはしごしてきました。
レビューを書いてみたいと思います。あくまで個人的なレビューです。ネタバレの可能性があるので悪しからず。。
「君たちがどう生きるか」
個人的には監督最後の作品なのかなと思いました。
それぐらい力の入った作品に感じました。
アオサギを初め、セキセイインコやペリカンなどたくさんの鳥が出てくるのも、愛鳥家の私にとってはとても面白かったです。
これからの時代を担っていく若い人に向けた
宮崎駿監督からのメッセージだと感じました。
積み木が出てくるのですが、「3日に1つずつ積んでいけ」という言葉がとても印象に残っています。
ただ、やっぱり過去の作品とどうしても比べてしまう自分がいて、
私は「風の谷のナウシカ」や「思い出ぽろぽろ」が好きなのですが、やっぱりそっちの方がいいなーと思ってしまうのです。(あくまで個人の感想です)
でも映画館で観ることができて良かったです。
ジブリ作品は今の所、サブスクでは公開していないので映画館で観る価値はあるのではないかなと思います。
「月」
こちらの作品はジブリ作品とは打って変わって、人間のドロドロした部分を曝け出した作品だと感じました。
相模原の障害者施設で起きた殺傷事件、植松被告がどうしてそのような思考になっていったのか、心のない障害者は必要なのか、出生前診断の是非などを問うた作品。
障害者施設の描写があまりにも暗く、ホラーじみているのが疑問には思いましたが、あの植松被告が起こした事件は風化させてはいけないと思います。その意味でこの映画が公開されたことは、とても大きな意味を成すのではないでしょうか。
公開している映画館は限られていますが、私はこの映画を観て良かったと感じています。
この月という映画を観て少し感想を述べさせていただくと、植松被告の考えはやっぱり間違っていると思います。どんな理屈を並べたとしても、殺人は法を犯しています。法を犯した者は正しく処罰を受けなければならないと思います。
どんな人間であっても、生まれてきた時から、等しく生きる権利があります。
もちろん死ぬ権利もあります。
しかしその権利を自分ではない誰かが侵害することは罪だと私は考えます。
これからも色々な映画や本等、芸術、文化の世界に触れて自分なりの考えや思いを人に話したり、文に残してインプット、アウトプットをしていきたいと思います。
「こんな考えもあるのか!」という新たな発見は、自己成長や病気の安定に繋がると信じているからです。
それではまた。
『低空飛行維持』の難しさ
8月前半の忙しさに無理があったせいだ。
8月22日からパタリと鬱がやってきた。
脳内でパチンと電気を切ったかのようにオフモードに入った。何か嫌なことがあったからではない。
過眠、無気力、外出できない、カーテンも開けれず、暗い部屋にただただ引き篭もる。もちろん家事はほっとんどできない。
双極性障害と診断を受けてから15年も経つのに、私は未だにこの病気をコントロールできずにいる。
旦那は今の鬱気味の状態の方がいいと言う。
軽躁状態は下手をしたら急速に躁状態に移行してしまう危険性があるからだ。
本にも書いてあった。周囲は鬱状態になるとホッとするのだと。
周囲の立場に立って俯瞰して自分をみれば、確かにそうなんだろうなとは思う。
テンションが高い時に鬱のことを完全に忘れてしまっているわけではない。
ただ、鬱の時の辛さの感覚は忘れている(私の場合)
こんなに忙しくしてたら鬱が来た時辛いだろうなという予測もしにくい。
ただ過活動期は周囲から見たら明らかに過活動なのだが、私としては自制して行動しているのだ。
鬱が来るのが嫌だから、もっとしたいけどこれぐらいにしておこうとか、睡眠時間の確保もしていたし、私なりの自制はしていた。
それでもやっぱり鬱はやってきた。
自分で自制していたつもりの行動もやはり周囲から見るとギャップがあるのだ。
そして大抵周囲の予想は見事に的中し、鬱がやってくる。
何度も何度も経験してる鬱なのに。
いつかは必ずやってくる鬱なのに。
鬱になって振り返れば、やっぱり明らかに過活動なのに。
いつも鬱になってから過活動時(軽躁)のことを反省する。
私はバカなのか。
この15年の間、この病気に翻弄され続けている気がする。もちろん安定期があったのも事実だ。
でも、何かあるたびに(たいして何かなかったとしても)急上昇や急降下を繰り返している。
仮にそんな私を飛行機✈️に例えれば、周囲はその飛行機を見て気が気ではないだろう。
「なんだあの飛行機は。上がったり下がったり。墜落するんじゃないのか?もっと真っ直ぐな飛行機雲を出したりしながら安定して飛べないものかね!」なんて言うのかもしれない。
低空飛行を続けるには、ちょっと退屈🥱ぐらいの暮らしがちょうどいいと思う。
言い換えれば、気持ちに余裕がある暮らし。
まだ退院してから間もない。
躁と鬱の波が安定するにはもうしばらくかかるのかもしれない。
☆自分に負荷をかけ過ぎてはいけない。
☆軽躁時は周囲の意見を聞き、反論しない。
☆鬱が来てしまっても必要以上に軽躁時の自分を責めない。
私は乗り物の中で飛行機が1番好きだ。
空港の雰囲気も好き。
飛行機に乗って、飛び立つ瞬間に身体にかかる圧力の感覚や音。
窓から見る素晴らしい景色。
風の谷のナウシカが好きなのだが、あのナウシカが乗ってる白い飛行機が欲しいなーなんて思う。
軽躁時、1人で飛行機に乗って広島に行ったとき、羽田空港にあった誰でも弾いていいピアノで、風の谷のナウシカの曲「鳥の人」を弾いて、知らないおじさんに褒めてもらったのを思い出す。途中までしか弾けなかったのに、とても優しく褒めてくれた。
今回の入院の前の話だ。
私はいつか旦那と一緒に飛行機に乗って海外旅行をするのが夢だ。
実はまだ一度も旦那と飛行機に乗ったことはないのだ。
そのときがきたら、私は絶対窓側を旦那に譲ることはないだろう。
私が飛行機に乗る時は窓側と決まっている。
ドイツのクリスマスを見てみたい。
海外旅行はまだ先だとしても、羽田空港デートに近々誘ってみようかな。
今日は愛犬をお風呂に入れて、
私ももみじもさっぱりした。
明後日は外来と栄養指導とデイケアだ。
それに行ければ、それをキッカケに鬱は明ける気がしている。
ただし、鬱が明けても低空飛行を意識して生活していく。
どうか鬱が明けた私忘れないで。
上がり過ぎた分、落ち過ぎるということを。
それが私の病気だということを。
見返せるように、ここに書いておこうと思ったが、色々脱線してしまい、乱文となってしまったがまぁいいか。
今日もお疲れ様でした。
素敵な夢を見れますように。
おしまい。
残暑お見舞い申し上げます
最近はとても忙しかった。
11日〜15日までの5日間、看護師派遣会社の単発の仕事(♯7119の医療機関案内オペレーター業務)をしていた。
初日にしっかりとした研修があり、業務中もスタッフの方からわからないことや質問に真摯に対応して頂けたのでとてもありがたかった。
一人一人にデスクがあり、パソコンとモニターと電話機が置いてあり、ヘッドマイクをつけて対応する。デスクも1人で集中できるよう壁で各々仕切られており、ブースになっている。5連勤は正直とてもキツかったが、夫の協力もあり、休まず完走することができ、少し自信にもつながった。
16日は外来と栄養指導とデイケアがあり、先生には開口一番「ちょっと過活動過ぎない?」と言われた。
ただ、仕事の疲れもあり、本当によく眠れていたことや、仕事自体が体力的にキツくなかったこと、外に出て働くことが何より楽しかったことなど説明し、毎日記録しているリズム表も見ていただいたところ、笑顔で「よかったわね」と言ってくださった。
ただ、夫を含め、先生やデイケアの担当のOTさんは相当心配だったらしい。それは私も理解できた。
なので、先生からは仕事をするのはいいが、その時々で自分がやってみたいと思った仕事をやれそうかどうかを先生やデイケアのスタッフに相談してほしいと言われた。もし、先生やデイケアのスタッフが大丈夫と言ってくれれば、夫も安心するだろうからと。
これからはそうしますと答えた。
デイケアでは、就労に向けた会議のようなことをやっている。
16日はハローワークの精神障がい者を担当している方が話に来てくれた。議題は仕事をするときに、オープンかクローズどちらを選ぶかと言った内容だった。私は、派遣会社に障害のことを話していない。今後、話す予定もない。オープンにすることのメリットの話も聞いたが、今までの仕事でオープンにしていたとき、嫌な目にたくさんあったので、今後はクローズで働きたいと現時点では思っている。
話は大きく逸れるし、大きなことを言い過ぎなのかもしれないが、
私はこの地球という星に人間として生まれ、今生きることができてよかったなと思う。
なぜ地球という星には生命があるのだろう。
こんなことを考えるのは仕事中に地図を見る必要があったからだ。
私が今いる場所。
地図を拡大して、私が今いる場所だけ見るとその範囲はとても狭い。
でも、どんどん縮小していくと市が県になり、国になり、行ったこともなく、言葉も通じない別の国が見えてきて、最後は丸くて青い地球になる。その地球だって限りない宇宙の中にある星のたった1つに過ぎない。
そんなことを思ったら、こうしてここに生きてることは奇跡的だと思った。
人との出会いも愛犬や愛鳥との出会いも奇跡だと思った。
今日も楽しく生きることができてよかった。
明日も楽しく生きれるといいなー。
おしまい。
知足安分
退院してから、3週間経った。
離婚を考えることをやめてから楽になった。
両親に以前貰った手紙に知足安分という4時熟語を心に留めておきなさいと書かれていたことがある。
「足るを知り分に安んず」
高望みをせず、自分の境遇に満足すること。
分をわきまえて欲をかかないこと。
「安分」とは自分の境遇・身分に満足すること。
世間で健常者とは違う括りの障がい者と呼ばれる人達は、この考え方を受け入れ難いものがあるのではないだろうか。
自分は健常者と違った苦労をたくさんした。
差別を受けた。嫌な思いをたくさんした等々。
そういった思いが、もっと頑張って成功したい、世間に認められたい、偉くなりたい、という欲に繋がるのではないだろうか。
しかし、私は今考える。
果たして本当にそうなのだろうか。
私は障がい者という括りの人間になってからもう随分と経つが、最近思うのだ。
健常者は障がい者とは違った苦労をたくさんしているのだろうと。
健常者と障がい者を分ける必要はないのかもしれない。
どっちみち人間であることには変わりないのだから。
人間はみんな目に見えない苦労をたくさんしている。
だからお互いに支え合ってこの世界で生きているのだと思う。
よく、自己啓発本とかで死ぬまでにしておかないと後悔すること
といったようなものをみかけるが、私はそういった自己啓発本は読まないことにしている。(以前はよく読んでいた)
だって死ぬときに後悔することがあったって別にいいって思うから。
やりたいこと、叶えたいことを全部叶えるなんて無理。
できなかったことを後悔しながら死ぬより、できたこと、叶えられたこと、出会えたことを喜びながら死ねるような人でありたい。
今日もお疲れ様でした。
読破
読み終わりました。
Kindle Unlimitedで。
本当は書店で実物を見たいのだけれど。
何かを成し遂げるってすごいなとただただ思いました。
出会ったのは私が20歳の頃。病院で。
その時から書いてたよね。私に原稿をみせてくれたこともあった。
表紙の絵の作者の名前も覚えてる。表紙の絵、もしかしてと思ったらやっぱり最後の方のページに見覚えのある名前が。
嬉しかった。
15年の歳月を経て当時の記憶が思い出されて。
私がこんなことを言える立場では全然ないけれど、本当に素晴らしいと思います。よく頑張りました!私はとても感動しました。
でも1番面白かったのは、風俗に行って、後悔したってところ笑
あれはフィクションなのかノンフィクションなのか。
最高に面白くて1人でクスクス笑ってしまいました。
後、参考になったのは作者にはたくさん出会いがあって、友達と呼べる人、助けてくれる人がたくさんいること。
私は交友関係がとても狭く、人に相談することがとても苦手なので、これから通い始めるデイケアであったり、職場だったり、趣味を通して、色々な人と出会い、所謂私の助っ人を増やしていければいいなと思いました。(もちろん私もだれかの助っ人でありたい。)
お疲れ様でした。
そしてありがとうございます。
これからもずっと頑張ってください!
作品に救われる人はたくさんいます。
そして私はその1人です。
入院してしまいました
5月30日に任意入院をしました。
全部で5回目の入院。
軽躁状態での入院でした。
旦那と本気で離婚したくなり、家を飛び出しホテルに連泊したのち、家に帰宅しもみじとチョコを連れて警察に行ってしまいました。
うーん…いま思えば31日の外来を24日に早めた時点で入院しておくべきだった。
でも軽躁状態での私は頑なに入院を拒んでしまう。
上がりだすととても早くて、薬では追いつかないのはわかってるし、兆候もあるんだけどなー
今は軽躁状態も落ち着き、夜も眠れている。
来週2回目の外泊ののち退院予定。
先生に「これが最後の入院にしよう」と言われた。できれば私だってそうしたい。
退院後は病院に併設しているデイケアに通ってみようと思っている。私の気分の波を第3者の立場から見てもらうためでもある。
今まで、デイケアは通ったことがない。
生活リズムが整ったり、相談し合える友人ができれば良いなと思っている。
あとは、家を飛び出したくなったときは、ホテルに行く前に病院に電話する。
自分で自分の不調に気づいて、限界であれば自分から入院しますと言えるようになりたい。
入院はしないに越したことはない。
ただ、大きなストレスに対応できず、やむを得ず入院せざるを得ない状況もある。
ただ、今回の入院は派遣の仕事がひと段落ついていたので、職場に迷惑をかけることなく、ゆっくり旦那と距離を取って休養できたことはとてもありがたかった。
退院したらまた自分の体調とうまく折り合いをつけながら、デイケアに通ったり、仕事復帰を目指してゆるく頑張っていきたい。
Stand by me
が観たくなって、夜な夜な静かに鑑賞した。
わたしのそばにいて、友よ
何度見ても胸が熱くなる映画だ。
多感な12歳の少年4人。
それぞれの事情を抱えているが、お互いがお互いを敬い、友情で結ばれている。
友とは永遠ではない。
どんなに通信技術が発達しても、再会が叶わない友もいるだろう。もしかしたらこの世にもういないかもしれない。
それでも自分の心に刻まれている友の言葉。
辛い時に抱きしめてくれた。
何も言わずただそばにいてくれた。
一緒に泣いてくれた。
この記憶は生涯忘れることがないだろう。
会えないとしても、いつまでも温かい記憶として、私の心に刻まれている。
そしてその記憶を大切にしながら、また新たな出会い別れを経験していきたい。
stand by me